新型コロナ ロンドンで起きた差別事例から学ぶ

残酷な世界、、

新型コロナ感染拡大の状況が刻々が変わる中

ロンドンで起きた差別的な出来事

(※拡散希望とのことで引用)

 

海外在住の長い方のアドバイスで

「舐められたらダメだ!

服装、態度、ふるまい

に気をつけろ!」

とよく言われるけど

その意味がようやくわかった。

 

もちろん、悪いやつ、嫌なやつばかりじゃないけど

差別、いじめはあちこちに存在している。

 

それに対して自分がどう対峙するか。

 

どうしようもなく悲しいけど

 

相手に舐められないために

服装、態度やふるまいに注意を払うことも大事かもしれないけど

 

このような事例を知っているだけで

不運にも同じことに遭遇してしまったときの心のダメージはかなり軽減されると思う。

 

そして自分の子供を守るためすぐに

「逃げる行動」

ができると思う。

 

これからまだ深刻な状況は進んでいくけど

必ず乗り越えられます。

 

世界は過去にもこのような感染症を経験して

乗り越えてきました。

 

今はあまりニュースを見すぎず、

SNSではネガティブな言葉を発する他人はブロックして

心と身体を保ちたい。

 

ちなみに、クアラルンプールでは

今日もフードデリバリーのライダーに

「From Japan?」

て聞かれたけど

いつもなら誇らしく

Yes!って答えるけど

今日は聞かれてびくっとした。

差別されないかと怖かった。

でもそのドライバーは

「アリガト!」

と笑顔で言ってくれただけだった。

 

クアラルンプールはたくさんの人種がいるので

そのうちロンドンのようなことに遭遇するかもしれないとは思っています。

 

最後に、ロンドンでのとても悲しい出来事を

勇気を持って言葉にして共有してくれたことに感謝します。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

SNS

Twitterをフォロー

Facebookをフォロー

アメブロでフォロー

ランキングに参加しています!ポチッとお願いします!
にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へ
にほんブログ村

3件のコメント

ちょっと気になった点がありましたので・・・。

>そして自分の子供を守るためすぐに「逃げる行動」ができると思う。

ご存知のように世界中に差別があって、自分や家族がその対象になることは多いと思うのですが、もし海外で生きていくのであるならば「逃げる」のはよろしくないと思いました。もちろん逃げたほうが良いシチュエーションはありますが、私の30年の海外生活ではそういう経験は1%にも満たない。

それより「差別にどう立ち向かうか」を子供に教えるのが大事で、親が逃げた時には子供は必ずそれを見ていますのでそこを真剣に考える必要があると考えます。また私の場合は、二人の子どもたちに「絶対に差別に屈するな」と教えて育てたのですが、それによる摩擦もなかったとは言いませんが、今では差別があっても簡単にそれをコントロールできる大人になりました。当時、同じ日本人の師弟で「差別されると屈服する子」がいまして、(白人の)友人には逆にバカにされてなにかあるとヘラヘラ笑って難を逃れていたのを思い出します。

見知らぬ人に差別された場合は「逃げる」「黙る」「反論しない」のも選択として良いケースもありますが、自分や子どもたちが生活する環境、友人の中で差別された場合どうするか、ここが何よりも大事なポイントだと思います。子供が学校で差別されることもある(先生に)はずですが、そういう時には親が積極的にそれと戦う姿勢を見せるのも大事で(私は弁護士を中に入れて正式に抗議したこともある)、それがまた海外では大事な「家族の結束」にも繋がったと思っています。「理不尽は絶対に認めない」「親はいつも必ず子供を守る」のを子供に見せるのは大事だと思います。

「差別は簡単にコントロールできる」。「差別を許さない態度が、結果的に差別されないことに繋がる」。これが私が得た答えでした。

マレーシアでは白人社会と違って多くの差別が存在するようには見えませんが、是非とも強い気持ちを持って強いお子様をお育てになったらどうかと思い、出しゃばってこれを書きました。失礼いたしました。

貴重なコメントありがとうございます。

「逃げる行動」については
このお話を知る前のわたしであれば、差別された経験が少ないため
もしロンドンで、バスの中で同じ場面に遭遇したとしたら
たぶん投稿者のかたと同じようにまずは反論し
他の乗客、バス運転手に助けを求め
だけど助けてもらえず
「早く降りろよ、中国人」と最後に罵られ
悔しい思いをしてしまったでしょう。

でも今はそんな流れが察知できたら、相手に最後まで付き合うことなく
さっさと逃げたほうがいいと思い書きました。

しかし、dabo_gc のおっしゃる自分の生活する環境、友人の中で起きたら
そうは簡単ではないですね。。
深く考えさせられます。

その時の状況によるのは間違いないですが
仲のいい友だちが、
先生もが差別に加わってきたら・・
恐ろしいことです、、
ないことはない
実際にあるかもしれないと本気で考えたとして・・

ググって差別の事例をもっと調べてみました

理不尽な差別であれば
なるべく早く察知してあげ
躊躇せず親も乗り出し
一緒に対応策を考えようと思いました。
先生、学校とも連携するのも大事なのだろうと思いました。

でも
「最終的には逃げていい」
と伝えたいですね。

選択肢として「逃げる行動」は戦うことと同じくらい持ってていいんじゃないかと思っています。

それは逃げずに”最後まで立ち向かう”ことで必ず納得する解決に到るわけでもないと思うのです。
時には危険が伴うこともあるでしょう。
解決に長い時間心労を費やし、危険を伴うくらいであれば逃げればいいです。

いきなり最初からと言ってるわけではなく、舐められたい、わけでもありません。

わかり合えない相手に自分たちの時間を多く割かれるのであれば
そんな相手は放っておけばいい。
もっと大事なことのために時間を使ったほうがいい。

逃げた結果、その先で同じようなことが起きることもあるかもしれませんが
逃げた結果、よりよい環境にたどり着くこともあるでしょう。
自分ひとりが逃げたからといって世の中の差別は増えもしないし減りもしないでしょう。

わたしは子供を守るため
子供とどこまでも付き合う覚悟はあります。
子供が独り立ちするまで一緒に伴走したいです。
差別に遭遇する頻度が高そうな国には住まないつもりです。

強くあることよりも、賢く折れない柔軟な心で育ってくれたらと願っています。

これは海外にいるからというより、日本にいたとしても同じかもしれません。
差別についてだけではなく、いじめについても同じかもしれません。

まあしかし、海外経験はまだ数年、ひどい差別的な状況にほとんど遭遇してないので
この先、実際に今の考え方だけで通用しない場面もあるでしょう。
そうしたら、そこで柔軟に考えを変えて対応していくのだろうと思います。

差別をされてしまう脳内シミュレーションをしていたら
とても頭が疲れました(笑
実際に起きてしまったときは即座に
「まずは戦う姿勢を見せる」
ための心のウォーミングアップができた気がします。

長々と失礼しました。
貴重な経験談を共有していただきありがとうございました。

ああ、masakiさんは「差別されたこと」があまりないのですね?それならわかります。そもそも日本では差別されることも無いのが普通ですから。

私は1991年にオーストラリアへ渡ったのですが、かなり差別があるのでびっくりしました(そういう時代だったのは、後の変化でわかります)。でも若い頃からアメリカで嫌な思いをしたことが何度もあるので覚悟はしていたものの、「子供が差別される」ことは想定していなかったんです。

それも通りすがりの見知らぬ人に差別されるなら無視でも逃げるでも良いですが、友人知人、学校内でそれが起きるので解決しないわけには行かないんですね。子どもたちが泣きながら帰ってきたことは何度もありました。お弁当を捨てられたり、特に「おにぎりは止めてくれ」とヨメさんに泣きついていました(笑)。真っ黒な石の塊に見えるので随分いじられたようです。また学校の中でも子供だけではなくて、教師による明らかな差別も何度かありまして、アジア人は・・と罵倒されたり、子ども同士でいざこざがあるとアジア人だけが悪者にされたり、疑われたり。こればかりは看過できないので、私は学校に乗り込みました。子どもたちは「パパ、そこまでしなくても・・」と言っていましたが、心の中では喜んでいたはずですし、自分たちも差別を容認してはならないという良い勉強になったようです。

今では私の子どもたちは凄いですよ。理不尽なことを言われたら絶対に許しませんから。そういう態度を取ると、「あいつをからかっても面倒なことになるから止めようぜ」ってなるんだと思います。でも反論もしない、逃げると「いじめっ子にしてみたら最高のカモになる」のだと思います。むしゃくちゃしている時には、それのはけ口にされたり。

実は今回のロンドンの話を聞いて、私は「こんなのは日常茶飯事じゃないのかな。なぜそんなに驚いたのかな」なんて思ったくらい。でも今回のコロナウィルスのせいでこういうことは増えているのは間違いがないでしょうね。

でもマレーシアで差別らしきものを感じたことはありませんし、基本的にアジア人同士では差別は少ないんじゃないですかね。でも白人は別で・・・。

ああ、私は経験がないのですが、マレーシアで中国系ローカルから「嫌味を言われたケース」があるのは何度か聞いたことがあります。戦争絡みの話ですね。

それとオーストラリアでの話ですが、日本のお隣の国の人達からは嫌な思いをさせられたことは何度かあります。日本では彼らはマイノリティですから静かにしていますが、オーストラリアでは日本人のほうがマイノリティですので、随分、公の場でやっつけられました。(笑)

彼らはわざと皆の前で日本人を貶めるのね。たちが悪いやつは結構いました。またお隣の国の友人に「貴方が私と同じX国人なら良かったのに・・・」とボソッと言われて驚いたこともありました。やっぱり根が深いものは間違いなくありますね。

でも私は思ったんですよ。日本にいる時には「差別をしても、されることはない」。だからこそオーストラリアで差別されることは子どもたちの良い経験になるだろうと。改めて考えてみると、日本では差別が当たり前に横行しているんですよね。でもそれに気がついていない。これが怖いんですね。

差別をする人って、何も考えないで感情的になっているだけなのがほとんどですから、「論理的な反論」をいくつか用意しておいて、それをぶつけると相手が引っ込むことのほうが多いと思います。

思い出すのは「なぜ日本人はクジラを殺すんだ?最低だな」というようなこと。これって差別とは違いますが、パーティの席等でそれを言われたらやっぱり看過できないんですよ。だからそれなりに相手が「こいつを相手にしないほうが得だ」と思わせるような反論を用意しておきました。

一つの例ですが、「クジラは知能が高いから殺してはならない」という論理をぶつけられたことが何度かあるのですが、私は嘘を含めてこう答えます。「私の子供はハンディキャップを持っているのだけれど、貴方に言わせれば生きる価値がないという事になりますね」と。これを言うと、ほぼ全員がバツの悪そうな顔をしてその場を去ります。

差別をする人の論理って感情的で結構考え方が浅いケースが多いですから、こちらがしっかりしていると、「相手こそが恥ずかしい思いをする」「周りの人がこちら側についてくれる」ことも多いと思います。でもTPOを読み間違えると袋叩きにされることもあるんだろうと思います。