雑記 深夜特急のDVDをマレーシアで劇的に手に入れた!

深夜特急DVDボックス

すごい偶然に、胸熱な出来事があったのでブログに残します。

KL在住日本人ご用達のクアラルンプール掲示板の売りますコーナーをたまたま見てたら

『深夜特急DVDボックス』

が出品されてて光の速さで出品者に購入希望の連絡をしました。

深夜特急はわたしの海外移住の原点だったからです。

深夜特急

「深夜特急」とは原作が沢木耕太郎の旅小説で

時は80年代から90年代にかけて

もうパッケージの海外旅行があたりまえになって

決められた道程の旅行に飽きてきた日本人が個人での海外旅行もし始めようという頃でした

そんな時代に主人公の若者がインドのデリーからイギリスのロンドンまで

乗り合いバスを使って一人で旅をする物語、『深夜特急』が若者の間で流行し

それに触発されてバックパックひとつでひとり旅に出る若者がたくさんいました。

そして96年から98年にかけてテレビでドラマ化もされ人気を博しました。

深夜特急DVDボックス

『深夜特急』(しんやとっきゅう)は、作家・沢木耕太郎による紀行小説である。

概要
インドのデリーから、イギリスのロンドンまでを、バス(特に路線バス、高速バスなどの乗り合いバス)だけを使って一人旅をするという目的で日本を飛び出した主人公「私」の物語であり、筆者自身の旅行体験に基づいている。
当初は日本からデリーまで直行してしまうつもりだったが、途中2か所のストップオーバーが認められる航空券を手にした私は香港とバンコクを選び・・・、様々な人々と事件に出会いながらロンドンを目指す。

影響
刊行後は、バックパッカーの間でいわばバイブル的に扱われるようになり、80年代と90年代における日本における個人旅行流行の一翼を担った。その後、台湾で中国語版、韓国で韓国語版の翻訳が出版された。あくまで個人の旅行体験記なので、旅行ガイドとしての使用には不向きだが、1970年代前半当時の交通事情、宿泊事情などを知ることもできる。さらには、途上国の貧困さの一端も巧まずして表されている。
2008年11月、作者の“一人でも多くの人にバックパッカーとなって欲しい”との願いによるエッセイ、『旅する力 ― 深夜特急ノート』が“最終便”として刊行された。
1987年、『深夜特急』が第五回日本冒険小説協会大賞ノンフィクション・評論部門大賞を受賞。1993年に『深夜特急 第三便』が第2回JTB紀行文学賞を受賞している。

テレビドラマ
1996年 – 1998年には、『劇的紀行 深夜特急』として、名古屋テレビ制作・テレビ朝日系列でテレビドラマ化。
これは、名古屋テレビ開局35周年記念番組として企画されたもので、ドキュメンタリーとドラマを複合させるという試みで、1996年から1998年にかけて一年ごとにドラマ制作と放映が行われたもので全3部作で構成される。主演は大沢たかお。主題歌は井上陽水の「積み荷のない船」。

出典: ウィキペディア

 

深夜特急に影響され海外ひとり旅

そしてわたしも触発された一人でした。

原作は小説ですが、わたしはテレビドラマではじめて深夜特急を知り

まだ見たことのない海外の国々で若き主人公の大沢たかおが成長する物語に

すごく興奮したのでした。

深夜特急 大沢たかお 深夜特急 大沢たかお

ときは1997年、当時は日本のバブルが崩壊して数年後

わたしは大学卒業をするときまでにアルバイトで貯めたお金で

友だちを誘って卒業旅行にいくつもりでしたが

次々に友だちは脱落、、

少し前に観て面白かったドラマ『深夜特急』でやってたバックパッカーの真似事をして

初めての海外旅行を ひとりで タイに6日間行こうと決めました。

 

友だちすべてが脱落した日、旅行会社に電話して安い航空券(エジプト航空ね)を手配してもらい。

宿をとらずにタイのバンコクに行く計画を立てました。

 

海外ひとり旅はつらかったけど、自分に自信がついた

1997年3月

まだインターネットは日本に上陸して数年

PHPをまだ多くの人がもっていて

就職活動に使うために買ったばかりの携帯電話(J-PHONE)は海外では使えませんでした。

とにかく情報は旅行ガイドブックから

電子書籍じゃなく紙の本です。

Googleなんてまだ存在してません。

もっていったカメラはフィルム式です。

デジカメなんてまだ一般的じゃなく

フィルムはフジカラーとかコダックとかの。

数ある旅行ガイドブックの中から頼りになったのは

バックパッカーの友

『地球の歩き方』

行く前に何度も何度も読み返して

旅の計画をノートと手帳に書きだして

いろいろ準備をして、不安と期待を抱きながら成田空港から飛び立ちました。

 

深夜に到着したバンコク国際空港(ドンムアン空港)から安宿街まで行くバスの停留所が分からなくてうろうろしたり

生まれてはじめてへたくそな英語で外国人に道を聞いたり

夜中のバンコクは不夜城のごとく、たくさんのひとたちが活動していたのに驚きました

安宿街ではホテルの開いてる部屋がなかなか見つからなくて10軒くらい探し回ったり

ホテルを探し回ってると怪しげな外国人に話しかけられたり

ようやく見つけたホテルの部屋はエアコンが故障していたけど泊めさせてもらいました。

もう最初の夜には

「やっぱり来なければよかった、、」

「怖いし帰りたい・・」

と弱音を吐いたけど、ひとりなのでだれも聞いてくれません。

 

でも次の日から

バンコク市内のお寺を回ってみたり

チャオプラヤー川の無料シャトルボートに乗ってみたり

泊まっていた安宿のスタッフとおしゃべりしたり

安宿の周辺を歩いていた日本人に声をかけて食事をしながら情報交換したり

3月のバンコクは強烈な日差しで暑くてたまりませんでしたが

トゥクトゥクやタクシーはどこに連れて行かれるかわからないしお金もかかるので

網の目のようにたくさん走る路線バスを駆使してとにかく動き回りました。

 

結局、ほんとうは深夜特急で大沢たかおが乗っていたマレー鉄道に乗ってみたかったけど

クアラルンプールからどこかへ行って帰ってくるだけの時間がなくなり

乗るのをあきらめました。

マレー鉄道は乗れなかったけど

街の旅行代理店に飛び込んでタイ国内線の飛行機チケットを買い

思い切って離島のサムイ島に1泊だけして

帰国前日にバンコクに戻りました。

サムイ島はいまでは洗練されたビーチリゾートになっているようですが

当時は舗装されてないデコボコ道と広いビーチ

ちょっとした集落とホテルが散在してるだけで

残りはすべてヤシの木ジャングルの田舎の島でした。

 

そんなこんなで長い長いはじめての海外ひとり旅6日間をなんとかやり過ごしたのでした。

大したことしてないのに日本に帰ってきたら不思議と自信がわいてきました。

「大変なことがあったり、苦しいことがあっても、なんとかなるでしょ!」

と。

 

海外移住の原点

深夜特急をきっかけにして行ったはじめての海外ひとり旅を経て

その後は数年に一度くらいのペースで海外旅行に行くようになりました。

サイパン、フランス、韓国、アメリカなどなど

いろんな国に行きましたが

『深夜特急』が、いつか海外に住んでみたいと憧れをもつきっかでした。

 

まとめ

日本にいたときにはDVDは廃盤になってて

入手するのが難しくて人に借りて観てたのに

こんな遠くの国、深夜特急で大沢たかおも通ったマレーシアで手に入るなんて

胸熱です!

これから事あるごとに観返したいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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